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2006年8月20日 (日)

靖国神社とは?

例年にない酷暑続き、私の歳には些か堪える。今年も8月15日の敗戦日(敢えて終戦と云わず敗戦と言う」を迎えた。新聞紙・TV・ラジオなど各種メディアは総理の靖国参拝で持ち切り。私は死なずに戦地から生還したが、戦地経験のない若い人々の多くが「靖国で再会しようと叫んで死地についた英霊」などと言う決まり文句を述べているのに驚く。
私は戦地でそんな文句を聞いたことがない。生死を分ける戦場はそんな冷静な思考は無い。これは作り話だ。一体「靖国神社」とはどう言う存在なのだろう。

  http://home.att.ne.jp/grape/shindo/mougo2.htm#YAUKUNI

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コメント

戦争の問題は、随分と長い年月尾を引くものですね。
人間一人死んでも一大事なのに、大量に亡くなるのですから、当然だと思います。

子供の頃私は裏山が遊び場でした。そしてそこは、寺であり神社であり、軍人墓地であり、一般の墓地、阿波水軍の墓地でした。

一角に、私の母の叔父が勲八等とか??でまつられています。
フィリピンで戦死、敗戦のため遺髪も何もなく、サカキ一枝だったと何度も聞きました。母(ひいばあさん)の嘆きはほんとうに大きかったようです。私の幼年期まで生きていましたので、母から時折その頃の話を聞いていましたので、勲八等の墓の前で遊んだ時は必ず手を合わせていました。

また、最近まで生きていた母の叔父の逸話ですが、
「甲種合格だ!」といきようようと帰ってきたら、父親が、
「あほーーーー!」と怒鳴ったそうです。
中国出征し、貫通銃操(?)で、本国送還となり、天寿まで生きました。勝ち戦だったので一命を拾ったと言っておりました。
もう一人の母の叔父はインパール作戦に参加しましたが、からくも命があって日本に帰って、天寿をまっとうしました。
生きている時、その悲惨だったことをいつも話してくれました。

戦争体験を語る人達が私の周りからいなくなりました。

白兵戦の話は迫力があり、とうていまっとうな人間とは思えません。真道さんが書いているように、ほんとうに狂気そのものですね。母の叔父(私は叔父と呼んでいました)も多分、敵兵を銃で撃ち殺したのだと思います。あんなに平穏でやさしかった叔父がとても無表情で殺人ができるとは思えませんが、それが戦争なんだと思いました。

投稿: らくじん | 2006年8月21日 (月) 13時02分

らくじん和尚さま。
コメント拝読しました。私も含め多くの日本人は戦争で苦しい体験をして居ます。繰り返しになりますが、人類は戦争という愚行を未だ脱却し得ないで居ます。其処には多くの虚構や不合理が渦巻いています。
私の兵科は気象隊で歩兵ではありませんが、飛行場を警護するのは歩兵で、常に話を聞いて居ました。歩兵の友人曰わく、白兵戦で一人か二人でも生き残ると証人となって報告できるから戦死者は功績を讃えられ「金鵄勲章」の対象にもなるが、万一、全滅したら証人が居ないから無視されるのが普通だ。最も苦戦した将兵はあの世で憤慨しているだろう。また曰わく、最前線では良く野戦で「同士討ち」が起きる。戦死者の2割は同士討ちではないか…。
このような事実は殆ど「無かった」ことにして記録から抹殺される。運不運と言えばそれ迄だが、矛盾の塊だ。堪ったものではない…と云う。誰でも自分達の不手際を隠したがるが、戦争そのものが「何たる愚行であるかを物語っている。このような話は次第に忘れ去られようとしている。当時はこれらの話は胸に秘め、口にすることはなかった。口にすれば反戦思想者と決め着けられるのを恐れたからだと思われる。
今これを書いているときNHKのラジオ深夜便でベルリンからの報告として、日本の総理の靖国参拝を「国際感覚の欠如として中韓だけでなく欧州の殆どの国々は愚行と決めつけている」そうです。

投稿: 真道重明 | 2006年8月22日 (火) 00時37分

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